20日の座りこみ 「つながっている 2 」

もうひとつ。20日の座り込みの報告として残したいとおもいます。
以下は、トークリレーでの、小さい頃から基地の隣で育ったかたの話です。
中継2 http://twitcasting.tv/careaboututakae/movie/17890754

「...女性のひとが、ずーーと座間に住んでいて、ちっちゃい頃からキャンプがあるわけね。小さい時に、親に、暗かったりするとき、ひとりで歩く学校の帰りとか遅くなったときに、雨が降りそうなときは傘を手に持って、何もないときは石をもって歩けといわれていたと。
ちっちゃいときからずっとそう言われて、自分もそう思ってきて、自分で防衛するっていうのかな、そうやって育ってきたけれども、沖縄に行ったら、それっておかしいことじゃないのっていうふうに、基地があるからいけないのに、自分たちが気をつけなきゃいけないという風に思っていた自分ていうのがおかしいんだって、初めて思った、何十年もたって、初めてそういうことを沖縄に行って思ったって...」

あらゆる性暴力において、いつも被害を被る側が、自己防衛が足りなかった、挑発したから被害を受けた/受けるのだ、あなたに落ち度があるから、と言われる。
加害者ではなく、いつも、被害者が、黙らせられる。

基地・軍隊に反対するおんなたちの言葉は、わたしたちをハッと立ち止まらせ、一緒に立ち、背中を押してくれる
「注意していればそんなことにはならない」と自己防衛、自己責任を求める社会からの抑圧、そこからまず離れ、そしてわたしのなかにある他者への抑圧をこわしていこう。
社会が被害者側に向ける抑圧に加担しない、沈黙を強いることも、勇気を出せと強いることもしない、それは、これまでの反戦、反性暴力の声から聞こう。

性暴力は、日常から軍隊・基地のある生活、そして戦争のなか、と地続きだ。
だからこそ、ここそこで、静かににぎやかに、軍隊 ・基地はどこにもいらない、と抗議し続ける。 (そ)

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