問われているもの

 あっという間に、1週間、2週間と過ぎていってしまったが、嵐は弱くなったとはいえ、わたしたちはまだそのなかにいる。

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 2013年9月25日、追加配備予定とされていたオスプレイ12機のうち、残り1機が岩国を飛び立ち、普天間基地に配備された。そして、その日、普天間基地ゲート前で抗議行動をしていた1人のかたが、米軍によって身柄を拘束された。

 25日午前9時ごろ、米軍普天間飛行場の敷地内に立ち入り、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ配備に抗議した自称うるま市の(性別)(年齢)が米海兵隊の憲兵隊に拘束された。(性別)の身柄は宜野湾署に引き渡された。同署は正当な理由がなく米軍基地内に立ち入ったとして、刑事特別法違反(施設または区域を侵す罪)の容疑で同日夜、逮捕した。

中略
(性別)は、「オスプレイ配備に抗議するために、やむにやまれずという気持ちでやった。県民の思いが、日米両政府に届いておらず、県民の尊敬を守りたいという気持ちだった。」と話したという。

  2013年9月26日 琉球新報

 ネット上では、横断幕を奪い返そうとしたそのひとが基地に踏み入ったと問題にしたり、抗議行動の手法に対し中傷したり、抗議行動を事実と異なる話にすりかえるなど、問題の矮小化が散見されたが、ゲート前での抗議行動は非暴力につらぬかれているし、この身柄を拘束されたということを、違法かどうか、で問うこと自体が、愚問だ。

 このようなときこそ、なにが不当であるのか、積み重ねられてきた意義申し立てを参照したい。

これら江東区の暴力行為のほとんどは、いかなる法律によっても正当化されない。だが、行政代執行にかこつけて、明らかな違法行為が白昼堂々と行われている。そして警察はというと、私服警官が江東区の役人のそばに立ち、暴力行為の指揮をとる。

2月9日のガラスの破損は、それのみを切り取って考えることはできない。それは、江東区が引き起こした暴力と違法行為、背信と嘘が吹き荒れる中で起こったことだ。この暴力と違法行為の嵐そのものを見ず、その中の一滴のしずくにも満たないガラスの破損だけがフレームアップされるなら、私たちは断固として抗議する。私たちはいま、この嵐の只中にいる。2月9日の不当弾圧に抗議する。

「圧倒的な暴力を行使しているのは誰なのか」http://san-ya.at.webry.info/201202/article_19.html

 いま、わたしたちが目にしているのは、沖縄全市町村の議会決議という民主主義の手続きをとおし反対の意を表明してもなお、日本政府によってオスプレイが強行配備されたこと。
その強行配備に抗議し、米兵に奪いとられた抗議の意をあらわす横断幕を取り戻そうとしたその声を、日本政府と米軍の共同作業によって、封殺されたことだ。
この奪い返そうとした横断幕は、沖縄のひとびとが奪い取られた土地であり、戦闘機の爆音によって奪われる時間であり、米兵による強盗、殺人、レイプなどの犯罪に脅かされる生活であり、尊厳だ。
拘束されたひとの行為が違法かどうかではなく、それ以前からふるわれている、日本政府による沖縄支配という暴力について、わたしたちは向き 合い、問う必要がある。

だからこそ、身柄拘束、排除がなされることにたいし、「不当だ」、たった3文字のこの言葉を、まず口にすること、ネットでもリアルでも、近しいひとでも周りのひとにでも、誰に言うでもなくとも、口にする、そうしてひとりひとりが抗議していくことを、呼びかける。

 そして、わたしは「不当だ」と言いながらも立ち返らなくてはならない。 

1年前の9月30日。民主的手続きをとおしてもなお無視されつづける状況において、ひとびとの抗議は、普天間基地を非暴力で封鎖させた。
あの日、普天間基地ゲート前を封鎖した市民が警察によって排除され、沖縄のひと同士が対峙させられた場面。そこでも、排除するという暴力をふるっていたのは警察だが、沖縄の声を聞く必要はないと、排除というかたちで抗議の声をつぶしたのは日本政府であり、そこに映し出されたのは日本による沖縄への暴力だった。

「圧倒的な暴力を行使しているのは誰なのか」

いま、”わたし” が、問われている。                              (そ)

 

※26日、新報で報じられたかたは、27日に不起訴で釈放となっています。